きままに建築学校

頑張れゆでがえるJapan

2011.08.09

 

 戦後、此の国の街は変化してしまいました。 且つてあった街の風景は消え、代わりに西洋のかたちが何気なく入ってきたのです。 よく見るとそれはアメリカ開拓時代の様式だったりイギリスの民家様式だったり、またその様式をモダンにしたかたちだったりしています。 この国は中国や韓国、オランダ、イギリスなど且つて様々な文化を取り入れ、自国の文化に受け入れてきました。たとえば中国唐の時代の仏教文化とともにその必要な空間として大仏殿の様な巨大木造建築を造りました。 それは仏教による華厳の教えによる空間でした。 奈良時代には平城京という都市を唐の長安に学び、殆ど同じといってよい程よく似せた都市を建設していったのです。 また幕末には、イギリスやオランダポルトガルとの交易により、数多くの外国の様式を木造等で建築してきました。これはその時代に即した文化の交流に伴ったもので、そのかたちは日本として否応無しに受け入れたものではないのです。 戦後のこの国を振り返るとどうでしょう。デザインや技術の進歩と共に建設のあり方は変わりました。 都市においては超高層ビルが林立し、部分を見ただけでは世界のどこか見当がつかない有様です。 地方において住宅が建つ町並みは、且つての町並みや甍のなみは消え、高さやデザイン、色までバラバラな外壁や屋根の構成で多種多様なかたちが並ぶ様になってしまったのです。 国民のだれもが望んではこなかったと考えたいのですがどうでしょう。 これもまた否応無しに変化していったのでしょうか。 戦後から経済成長を余儀なくされたこの国は、一生懸命であったことは誰もがうなずける事実です。 その代償としてこのかたちを生んだのか、また先に述べた民度が乏しかったのかはわかりません。 何気なくこの様に皆でやってしまったとしたら、その慣れに誰もが気がつかない内にこのようになっていったと解釈できてしまうのです。 “ゆでカエル”という例えがあります。 冷たい水に浸かっていてもゆっくり温めればそのうちお湯になっていても気がつかず、そのうち茹でられ死んでしまうという例えです。 エントロピー理論を唱えたのはドイツの物理学者クラウジウスという人です。彼は自分の研究の過程でこの概念を発見しました。熱力学の第二法則に基づいています。 コップに冷たい水を入れるというたとえでは、外の空気とコップの温度は暫くすると同じになります。 そこに水を注ぎます。コップの中は初めは水により冷やされますが、そのうち限りなくコップや外気と同じになります。 当たり前のようですが、そのコップの水はそれより冷えることは、外気温度が変化しない限り変わる事はないのです。 何気なく浮かれたり悲しんだりして時を経ているうちに、社会の温度変化に気づくことなくいつの間にか“かわったかたち”が入ってきても許してしまう日本になってはいないか。 よろしくないかたちの平均化がこの国の町並みを形成している事を、この社会が気にしないで新しい町並みとして受け入れてしまいそうな気がしてならないのです。 これを私は“ゆでがえる現象”“エントロピー現象”とかってに述べています。 頑張れゆでがえるJapan。 このままではこの国が日本かどうか解らなくなりそうだよ。 (風がおりてきたーゆでがえるJapan) 次回更新予定2011年8月22日予定

HORIOの独り言コメント(1)|管理者|

Comment

1件のコメント »
  1. まわりに影響されず、この国が、この国であるというものを維持するには何が必要でしょうか。
    わたしたち日本人は何をよりどころとすればよいのでしょうか。

    Comment by スタッフA — 2011年8月17日 6:46 PM
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