日本人の民度
2011.07.25
尊いひととときは生まれたばかりの蝉にまたそよ風とともに
何が今の私たちをこのようにさせてしまったのか。 毎日の様にそんな問いかけを自分に投げかけてしまいます。 政治の問題、経済や人々の関係までぎくしゃくしています。 政治では国家を第一に考えているのでしょうか。 経済は私たちにとって、本当に必要なものを考えていてくれるのでしょうか。 大切にしてきたはずの、日本の人々の絆や文化としての”わの風”は吹いているのでしょうか。 原因は人々の考えの複雑さの中にあるのでしょうか。 そんな中でこの大震災は起きてしまいました。 まだまだ東海、東南海、南海同時地震の心配まで出てきています。 東日本では、確かに人のつながりや助け合いそして命を大切にしようと懸命になっている人々の姿がみえます。 この災害で国民のそれぞれの地域における絆に、感動する風景を見つけ出す事はできました。 皆国民として、その事には安堵したと感じます。 外国の人々は、これをニュース報道で知らされこれらの日本人の態度を褒めたたえられた。 それなのにまだ私は気持ちがすっきりしないのです。 今の政権を批判する事も大切です。 しかしその人々を選んだ自分たちの責任はどのようにしてとるべきなのでしょう。 学校崩壊が叫ばれて久しい、今や親までがモンスター化してしまったり、教師までがモンスターになって引き起こされた事件があったという。この責任は誰がとるべきなのでしょう。 責任がとれなければ反省があり、改革があるのでしょうか。 終戦後、私たちに自由や民主の教育がもたらされました。 自由とは何だったのでしょうか。このようなモンスターを育成する考え方の基盤だったのでしょうか。 日本という国家の中で、ある一定の自由度がこれであったはずがない。 やはり私たちは、その自由の解釈を間違ってきたような気がするのです。 日本として自由という一定の秩序はありました。 そこには範囲があり規範があったと思います。 しかし我々はその範囲を逸脱し、そこを乗り越えてしまったのかもしれない。 その先にあったのは無秩序という秩序でした。 私たちはそんな範囲を乗り越えていない事を祈りたい。 民度という言葉があります。人民の生活や文化の程度を示す度合いの事です。 今後私たちがその度合いを熟慮し、日本の国家観を再認識すること。 そして謙虚に様々な問題を解決し文化を育むとしたら、その光は未来の子供たちに照らされるでしょう。 大切にしたい事は日本人として原点回帰をする事にあると思います。 この国の成り立ちにおいて歴史を振り返り、未来を見つけることが必要なのではないでしょうか。 日本人の謙虚さはどこから生まれたのか。 日本人の寛容の精神とはどんなことか。 近隣諸国とどの様な関係を築きあげてきたか、今後はどのようにする事がいいのか。 日本人が大切にしている信仰心とはどんなものだったのか。 衣食住の考え方は現代生活にあっているのだろうか等。 そして未来へ護っていかなければならない文化とは何か。 和への回帰そして民度という尺度はそのことにより示されるでしょう。 災害で大変な目に遭っている東北の人々、そして助けようとする人々。 既にそこに少しづつ光が差し込んでいる。風がおりているような気がします。 その光や風を絶やしてはならない。 一人一人の民度を高めなければならないのです。 さて、この文書は建築とは関係ないんじゃないかって思うでしょう。そんなことは有りません。 建築を造るってことは何でも知っていなければならないし、考えていかなければなりません。 そして提案していかなければならないのですから。 そんな事でもっと建築の話から離れていきます。 “日本人のかたとかたち”より 風がおりてきた『民度』 堀尾佳弘 (次回更新予定8月8日)
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