きままに建築学校

大丈夫か日本の建築家諸君

2011.07.15

これからブログとして公開する文章は、私が且つて疑問に思ってきました建築のかたちを創作する上での問題点や、これからどのようにしてそれを解決していったらよいのかを、ひとりごととして勝手に表現していくものです。
それは私の建築家としての態度であり、私のかたちの原点でもあります。
私が建築に携わって早40年を経ようとしていますが、そんな中で模索してきた事、まだいつまでもこだわっている事を書いていくつもりです。
どこまでひつこくやっていけるか私自身の気力にかかっていますが、もう一方の人格をもった私は反対しています。
建築というと、日本では一級建築士とかいうライセンスが世間では解りやすく、最近テレビ報道やPR用に作られている番組に登場する建築士、建築家諸君が一般的になってきてはいますが、まだまだ建築士という認識は世間様には理解されていないようです。
ましてや建築家なんて職能はどこまで理解されているのかは疑問です。
細かな使い方や新材料の使い方がよい事が評判となったり、大工職人や家具職人まがいの建築士がもてはやされ、それがかっこいい建築家として評判を生んでいく様にしかけられているような、そんな現実がテレビを通じ、視聴者にどのように映っているのでしょうか。
それは建築家と呼ばれてよいのでしょうか。
日本における建築家の立場に疑問をもっているのは私だけでしょうか。
さてそのようなぼやきを書く為にこのブログを用いている訳ではありません。
私もその世界の一人でもあるからです。
そんな現実に対し反省を込めて始めに述べました様に、私は日本における建築家はどのような態度でいたらよいのか、またどのような表現をする考え方がよいのかを、このブログに述べていきたいと考えています。
これからも責任ある日本人として。
このような述べ方をすると、かっこつけるなよと云われそうですが、そこは毅然として
これから建築を志そうとしている方、またこれから建築を建築家や建築士に依頼しようとしている方の為にも、やはり伝えておかなければならないことを、ここに表現したいと思い覚悟をもって載せていく予定です。
人は価値難が夫々異なっていますが、それは当たり前だと考えるのか、いやある範囲では同じでなくてはいけないのか、考えなければなりません。
建築を考える場合でも同じ事で、現実の社会での町並みの煩雑は僕の頭では理解できていませんが、この煩雑が日本の将来にとってよいのかどうか、これから様々な視点で表現しながら問いを求めていきたいと思います。
これから記述する内容の中には多少ですが、哲学や宗教めいた内容も含まれると思います。
また、科学や生物学や文化人類学の部分について、幼稚な解釈を引用した内容を含むかもしれません。

興味があるのは、“日本における仏教文化とそのかたち”という仮称で、多少の伝来仏教を勉強しています。
宗教をひもとくと、その国の政治経済その国のかたちが見えてくると思うからです。
かのマックスウエーバー先生からの教えによるものです。
この事をブログにと思っていますが何回かに分かれてしまうので読みにくいかもしれません。
建築のような立体的なかたちや身のまわりがどのようにデザインされていったか、自分自身にとっても興味津々です。

いずれにしましても色々な観点から過去のかたちや考え方を幼稚ながらまとめ、自分なりに表現しようと考えています。
全くもって勝手なひとりごとですが、長ったらしく恐る恐る表現することにしました。

次回ブログ掲載予定2011年7月25日

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